古/いにしえの面影       其の五十七

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 更新日  2004年06月11日 金曜日
暗峠
 天正5年、筒井順慶は織田信長の援助を受け、松永久秀を信貴山城に滅ぼし、大和を統一。その年の秋に郡山に入り、奈良中の大工を招集して多聞山城の石を運ばせて郡山 城を築城した。
 入城したのは、天正8年のこと。その直前から郡山一体に市場ができ、毎月六斎市がたち、塩や木綿、魚などが商われるなど大変な賑わいをみせた。
郡山入城後も、信長や秀吉に従って各地に転戦するが、天正12年に36歳の若さで死去、伊賀へ国替えとなりました。
 筒井家が去った後、郡山城を引き継いだのが豊臣秀吉の弟、豊臣秀長である。
秀長は秀吉の名参謀役として数々の功績を立て、入城後も大和、和泉、紀伊の3国を治めて、知行高は百万石。天正15年に大納言に叙されてからは、「大和大納言」と呼ばれていた。その秀長にふさわしい規模の城郭を築くため、その石垣の石にあたっては奈良の古社寺からも多く集められ、文化的遺産として価値の高い礎石や五輪塔まで持ち込まれたという。
 秀長は郡山以外での商業を禁止し、商業保護政策をとるなどして、城下町の建設にも力を注いだ。よって、当時の先進商業都市から商人が移住してつくった堺町、奈良町、今井町、また同業者同士が集まりつくったという魚町、塩町、紺屋町、豆腐町、茶町という地名が現在も残っている。「箱本十三町」の始まりもこのころのことであった。
 大事業を成し遂げた秀長も天正19年、51歳で死去。葬儀には「野も山も崩れんばかり」の人が集まったといわれている。           (大和郡山市HPより抜粋)


大和郡山と言えば金魚でしょう!
湿地帯だったのでしょうか?
天然の掘割。。


群れています〜流石金魚の本場。


焼き板家屋がいきなり。


全国金魚すくい大会のポスターがデンと…


ツバメの巣も雰囲気最高!
惜しいのはポストだけ…


私、こんな家が好きですねん!


昭和の風を受けて。。
左の赤いリボンは〜ブツケルナとの
無言の意思表示。


奈良と言えば筆なのですよ昔から。。
でかい看板!


菓子屋さんと筆屋サン。。
看板だけでも元気良く!


わが町とも似ている路地。


江戸の香りがする
御菓子処〜


隙間の大きな石畳に〜
溜息をつくハンドナー。。


戦国時代には有る物を使う突貫工事が当たり前。
川原の丸石、墓石、石地蔵…
其の名残の逆さ地蔵。。
天守閣、今は無く〜〜


急に降り出した〜
雨に…狐の嫁入り天気雨。。
ここでも溜息ハンドナー。


中学からの友人(ひーやん)も
雨空睨んで〜

雨宿りも久し振り。。
因みにこの日に、
近畿地方は梅雨入りしました。


雨が上がって〜
シットリと…。。

これぞ日本の原風景。


JRを潜るトンネル道。
手前のボタンで交互通行意思表示。
人も自転車も単車も車も〜
順番待ち。。。


鏡遊びをしました。


城に天守閣が無い分〜
駅前交番が代わりを??

ひーやん宅から富雄川を見てたら
ペアの狸ドン
餌場に向かうか?
塒に帰るか?

これにはひーやんもビックリ!


中学生当時の様に
お湯に行こかと〜

ポタ場所に戻る〜
(大門湯)


流しもタイル模様が良いねぇ。。
初めて髭剃った流しを思い出します。



画像悪くてすみません〜
携帯で遊んでみました。


懐かしい〜木札の下駄箱。
私達の頃は
長嶋の背番号「3」と王の「1」が〜
私は村山「11」と江夏「28」でした…
今ではゴジラ「55」かイチロー「51」か。。

それとも〜可愛いあの子の出席番号??
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